Chiang Hsiu-Chiung
69年台湾生まれ。91年『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』で女優デビュー。以降、エドワード・ヤン監督の作品に、脚本や助監督として参加。ホウ・シャオシェン監督の助監督を経て、08年短篇『跳格子』で監督デビューし高い評価を受ける。代表作に、ドキュメンタリー映画『風に吹かれて-キャメラマン李屏賓の肖像』(10)、近作に短篇『迷路』(12)がある。


関わっているすべての人を大事にする。
その信念をもって、映画をつくりたい。

東京の生活を捨て、行方知れずになった父との思い出の地に戻った岬。哀しい思いを抱えながらも、その土地で出会う人々と優しく強いつながりを築いていく——。『さいはてにて 〜やさしい香りと待ちながら』でメガホンをとったのは、台湾映画界の気鋭・姜秀瓊(チアン・ショウチョン)。異国の地で日本人スタッフと共に今作に取り組もうと決めた理由、そして、映画への向き合い方について訊いた。


――日本の能登半島を舞台にした今作に参加しようと思ったきっかけは?
「プロデューサーの大久保忠幸さんから、最初に『この物語は女性ふたりの友情を描いている。ゆったりとした優しい作品にしたい』とお話があったんです。そして、私の中にも日本のスタッフと仕事をしてみたい気持ちがありました。そんな中、一番大きなきっかけとなったのが、東日本大震災。『日本のために何か力になりたい。人々にとって、癒しになるような作品がつくれないだろうか?』と自分に問いかけて、3月11日のその日、オファーを受けようと決意しました」
――その想いがあるからこそだと思いますが、作品を観て、冷たくなった心をゆっくり温められるような、とても心地いい体験をさせていただきました。単身、日本での撮影に挑まれた訳ですが、どんな準備をされたんですか?
「撮影前に、プロデューサーにお願いして、通訳の同行もなく一人で能登半島の珠洲市を訪れたんです。ほとんど言葉が通じない状況でしたが、この作品のモデルになった二三味(にざみ)葉子さんにお会いしたり、彼女の案内で、漁師やアーティストなど現地の人々ともたくさん交流したりして。みなさん、自然に寄り添った静かな暮らしをされていました。そこで現地の空気を全身で感じとって、そのエネルギーを自分の中に取り入れて、脚本に取り組み、撮影に至りました。
実は、撮影に出発する前の心情を書いたメモがあるんです。振り返ってみると、東京で得たものを投げ捨てて、30年も離れていた土地へ向かう、主人公の岬(永作博美)と同じような気持ちだったんですね。孤独感を感じながらも、新しい場所で自分のこだわりを貫いてやっていくしかない。そんな想いが岬にも投影されたんだと思います」
――岬は凛としていて、大きな優しさも持ち合わせている。芯のある女性で、監督の印象とも重なりますが、ご自身では、生きていく上で芯になっている部分はどんなところだと思いますか?
「映画づくりは、シンプルにみれば映像作品ですが、その裏にはいろんな人がいる。その人々のチームワークで出来上がるものなんですね。映画をつくることに集中したいときはありますが、だからといって家庭もおろそかにするわけにはいかない。そのバランスをとるのがときに難しいこともあります。そんなときは、自分の信念を貫こうと思うんです。その信念は、『人を大事にすること』。関わっているすべての人を大事にしようと。ヒューマニティーをもって映画づくりをしていきたいんです。要は、目の前の興行成績や、賞が獲れるとか、そういうことではなくて。映画はひとつの命をもったもの。その命が、運命的に、いろんな巡り会いをしていくんです。ですから、良い作品というのは時間と空間を超越して永遠に人々に影響を与える。そのような作品がつくれたらいいですね」
——どんなきっかけで、作品をつくりたいという欲求が生まれるんですか?
「きっかけというより、それが意味のあるものになるかどうかが判断基準になります。自分の子供が大きくなったときに、観せたいか、観せたくないか。できるだけ、子どもに見せてもいいと思える作品をつくりたいと思っています」
——今後新しくトライしてみたいことはありますか?
「出来るかどうかは分かりませんがいくつかテーマはあります。たとえば、暴力、犯罪、戦争のような、男性的な、あまり女性監督が携わらないようなジャンルを私が撮ることができたら……もしかしたら相乗効果が狙えるんじゃないかと。たとえば、『トランスフォーマー』でもいいですし(笑)、自分と相反するものにトライしたいですね」


さいはてにて 〜やさしい香りと待ちながら
監督/姜秀瓊 脚本/柿木奈子
出演/永作博美 佐々木希 配給/東映(15/日本/118min)
2/28〜全国公開
©2015「さいはてにて」製作委員会
映画『さいはてにて 〜やさしい香りと待ちながら』オフィシャルサイト