igarashi kohei
83年静岡県生まれ。東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域修了。諏訪敦彦監督、黒沢清監督のもとで学ぶ。在学中に制作した『夜来風雨の声』は、シネマ・デジタル・ソウル2008にて韓国批評家賞受賞。オムニバス作品『恋につきもの』の一篇『豆腐の家』を監督。『息を殺して』は第67回ロカルノ国際映画祭新鋭監督コンペティション部門に正式出品された。


編集の過程で自分が無意識にやったことを理解できた
五十嵐耕平インタビュー[後編]


――五十嵐さんとお話していると、おおらかな印象を受けます。なので、映画のカッチリした印象が意外でした。
「それは自主映画の頃から、よく言われます。でも、僕自身そのつもりはないし、現場もそういうつくり方はしていません。完成した映画がそう見えることが、自分でも不思議で。みんなから『現場は独裁者的でしょ?』と言われます(笑)」
――実際、1カットにつき、テイクはどれぐらい撮るのですか?
「多くて4テイクぐらいで、全体的に少ないです。セッティングの時間で芝居を固めて、本番に入ります。即興的に行うことはほとんどありません。芝居をやってみて、カメラ位置や照明を変えることもありました」
――芝居を変えずに照明だけを変える?
「そうですね。フレームを先につくっていると思われがちなのですが、逆なんです、というか両方です。芝居を見ながら、カメラマンに画をつくってもらいます」
――それは根詰めてやっていく感じですか?
「そうでもないです。もっとユルく(笑) 。みんなからアイデアが出てきて、それいいね!とか割と楽しくやっている感じです」
――建物の中で日光の入らない撮影。撮影現場はきつかったのでは?
「夜の事務所のシーンは、ロケーションなのですが、昼間に撮っていたので、カーテンを閉めて撮影していました。それが何日も続くと、気分が沈んでくる(笑)。でも、ロケーションを室内で固めていたので、現場が終わるのも早いんです。だから、朝行って、夕方には帰ったりしてました。出勤と同じです(笑)。割と健康的な現場でした」
――それは監督の資質として素晴らしいものじゃないですか。
「スタッフにはちゃんと帰ってもらいたいんです(笑)」
――映画の構成やプランも撮影の中で、変わっていきましたか?
「多少はありましたが、そんなに変わっていません。編集で変化していった部分の方が多いです。たとえばBのショットを見せるために、Aのショットを撮っていたのに、Aのショットの方が伝えたいことが見えてくると気づいたときには、ためらいなく変更しました」
――編集で何十回、何百回観るわけですよね。そのとき、不安になることは?
「でも、自分の映画を見て、そんなに『いい』と思う人はいるのかな(笑)」
――(笑)。
「自分は『やべえ、このシーン』とか、そういう感じではないので(笑)。もちろん写っているものすべてが愛おしくて仕方がないです。だけど、他人がどうなのか、わからないけど、自分の意図してやったことに対して監督の多くは『あのとき、ああしておけばよかった』と思うことの方が多いのではないでしょうか。でも、僕個人の意図がシーンとして完全に具現化されていなかったとしても、映像には自分も含めてその場にいた人間の考えた空間が無意識に写っている。それが客観的に『どう見えるか?』、そこに『何が写っているか?』ということの方が大事なんです。そのときに、初めて映画が自分の手の内から離れる気がします。だから、編集は意図したことが反映できているかを確認する作業ではなく、そこに写っていることを発見して、理解して、どう責任を持って映画にするかというのプロセスなんです」
――大晦日という設定にした意図は?
「クリスマスの飾り付けを片付けて、新年を迎える準備をしているおじさんが出てきますが、この映画は何かが終わって、何かが始まるまで、その中間を描いています。大晦日は作品のテーマにあうと思いました。それに新年という始まりを、映画の終わりに持ってこれることも大きかったです。これから何かが始まるけど、僕らはどうするか、と、何かが始まった後を考えられる映画にしたいと思ったんです」
――五十嵐さんは、映画のテーマ的なところまで答えてくれますが、それは昔からそうですか?
「しゃべれることは全部しゃべるようにしています。もちろん観た人、それぞれ好きに解釈してもらえればいいと思っているんです。でも、僕は撮った以上、質問されて、その考えが自分の中に言葉としてあるならば、しゃべらないといけないと思っている」
――そう考えるようになったきっかけがあったのですか?
「25、26歳のころ、海外の映画祭に初めて行ったときに、しゃべらないという態度が許されないんだ、ということを強く感じました。質問されたことに対して『自分で好きに解釈してください』と返すことは、日本でしか通用しないんだと。でも、話をしていく中で言葉として固まっていくこともあります。『あのシーンはなぜああしたんですか?』と聞かれ、しゃべっていくと、『なぜオレはこんなことをしたんだろう?』と考えていたことが、少しずつわかってくる」
――では、今日のお話も、そういった場を経て、言葉にできたところもある?
「そうです。映画を撮るときは、思考自体が固まっているわけではないし、固めようとしていないんだと思います。自分にとって映画は、思考の抽象的なところから、そして現実からの発見によって生まれていくものなんです。つくるという行為は、それをなんとか自分なりにカタチにしていこうという気持ちなんだと思います」
[text]浅川達也


息を殺して
監督・脚本/五十嵐耕平 出演_/谷口蘭 稲葉雄介 嶺豪一 足立智充 原田浩二 稲垣雄基 田中里奈 あらい汎 のぼ ほか 配給/NOVO(14/日本/85min)
6/20~渋谷ユーロスペースにてレイトショーほか全国順次公開
©2014東京藝術大学大学院映像研究科
映画『息を殺して』オフィシャルサイト