自分に何もないと気づいてから始まった
──「真っ白なキャンバスになりたい」という感じでしょうか。
「そこまで綺麗なキャンバスではない気がします(笑)。『キャンバスを広げていっている』みたいなイメージかもしれません」
──「広げる」?
「誰かが何色かに塗りつぶした後に、キャンバスを補強したり、描くスペースをつくっているのがいまの自分かもしれない。最終的にどんな絵になるのか、それを楽しみにしています。とはいっても映画の場合、反応があるのは撮影から1年後とかじゃないですか。そのときに初めて、絵を観ている人の横に立っている気持ちになれます。そして『そういうふうに受け止めてくれるのか』って、一個離れて見ています。その感想はこちらがコントロールできるものではないし、そこに一喜一憂することもないかもしれません」
──ただ、感想に触れられることは喜びなのでは?
「だと思います。とくに映画はお金を払って観るということのエネルギーが絶対にある。観てもらって初めて絵として完成するわけですから」
──WEBで公開されている、母校「トライストーン・アクティングラボ」でのトークを読んだのですが、最初は小栗旬さんになれると思って門を叩いたそうですね。
「何もわからず勝手になれると思っていました(笑)。当時は『映画に出たい』『役名がほしい』とか、漠然としていて具体的な目標もなかったですね」
──何がきっかけで現在のスタンスを築いたのでしょう。
「養成所で自分が何者でもないって気づいたことが大きかった気がします。この映画における拓也ですね。自分に何もないとわかって、『じゃあ変えなきゃ』と思ったんです。それで在学中に東京から鹿児島までヒッチハイクをして、そこで出会ったいろんな人の話を聞いているうちに、考えが変わりました」
──そのときに現在のスタンスを獲得したと?
「スタンスは仕事をしながら培われたものですけど、根本にある『こういう自分でいるべき』という考え方は、そのときの影響が大きいかもしれません」
──拓也のように浮かれることなく、地に足をつけて歩んできたんですね。
「どうなんでしょう。拓也ほど浮かれたことはなかったと思いますけど。でも人間っていつ爆発するかわからない。いままで爆発していない人の方が危ないですからね(笑)」
ちょっと置いておいてもらっていいですか?
──ちなみに製作したテレビ朝日映像の若林邦彦エグゼクティブプロデューサーの「自社製作からオスカー作品を」という想いからスタートしたようですね。
「撮影前の顔合わせのときに初めて聞きました」
──どう感じましたか?
「気にしないようにしようと思いました」
──地に足が着いていますね。
「いや、そこで『よっしゃ、じゃあ獲ったろ』ってなるのも変じゃないですか(笑)。そこまでピュアではないです。そういう意味でも、僕は真っ白なキャンバスじゃないんですよ(笑)」
──現場に向かう際、肝に銘じていることはありますか。
「さっきの言葉に近いですけど、『こだわりすぎない』というか、『わからない』を悪いことと思わないようにしています」
──心情がわからないとき、とか、そういうことですか。
「それも込みで全部。わからないなら、それがそのときの答のような気がする。わからないといって代替品を持ってくるのは違うと思う。こだわりすぎて、お芝居がひとつのルートしか辿れなくなってしまうのはあまり好きじゃないので。人生においても、こだわらない、わからないっていうことを許容していけたらと常々考えています。最近、何でも答を求められすぎる気がしていて、それって果たして豊かなのかなって感じているんです。『いつか見つけるので、ちょっと置いておいてもらっていいですか』ってことでやっています」
2024.12.6
[photo]久田路 [text]八王子真也
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