出る側の“おいしさ”を知ってしまった
マツモトクラブ
──マツモトクラブさんはかつて劇団に所属されていたそうですが、俳優になろうと思ったきっかけは?
「高校生の夏休みに、深夜、テレビで映画を観たんです。それが『12人の優しい日本人』(監督/中原俊、脚本/三谷幸喜)という作品。ひとつの会議室だけで映画が1本できて、しかも面白いのがすごい! と思った。最初はつくる側になりたいと、大学附属の高校に通っていたのに大学に行くのをやめて、東放学園という専門学校に進学しました。まあ大学には成績的に行けなかったというのもありますけど(笑)。テレビのディレクターをめざすような人が行く放送芸術科というところで、授業で短篇映像を撮るんです。その作品に自分も出ているうちに、出演者のおいしさが勝ってしまって……」
──おいしかったですか。
「作品をみんなで観たとき、やっぱりつくってる人より、出ている人の方が持ち上げられるんですよ。それで1年が終わった時点で東映アカデミーという養成所にも通いはじめました。卒業後はシェイクスピア・シアターという劇団に入って、そしたらそこに12年もいてしまう結果になって……あれ、これ質問なんでしたっけ?」
──俳優になったきっかけです(笑)。シェイクスピア・シアターにはなぜ?
「東映アカデミーで唯一仲良くなった友達が、『この劇団は佐野史郎さんとかが出ているから、テレビとかのメディアに出演するチャンスもあるはず。俺は行く』と言ったので、『俺も行く』って。結局ぜんぜんチャンスはなかったですけど……」
──シェイクスピアに興味があったわけでは?
「ないです」
──でも12年もいたらずいぶんえらくなりますよね?
「最後には僕がいちばん先輩になっていましたね。主宰がわりと厳しくて、他の人は怒鳴られたりしていたんですけど、なぜか僕だけあまり怒られなかったです」
──それだけ演技ができていたってことですよね。
「劇団ってどこもそうなんでしょうけど、主宰の言うことが絶対正しいと信じこんでないと、やれないと思うんですよね。僕も『このおじさんが言ってることが正しいんだ』と思って、あまり考えずに言われたことをただ一生懸命やってた。だからその結果として、『あいつはちゃんと真面目にやってるから』って怒られなかったのかもしれないですけど」
──作品自体の面白さもありましたか?
「そうですね。現代の人が見ても面白かったり感動したりするものを、もう400年も前にシェイクスピアが書いているというところは興味深かったですね」
──でも12年経って退団された。
「単純にお金がなくなって、続けられなくなったんです。その後、ふつうの仕事をしているときに趣味で始めた映像がきっかけで芸人になるんですけど」
──ちなみに、一緒に入ったお友達は?
「すぐにやめちゃいました(笑)」
[text]釣木文恵 [photo]相澤心也
ピクトアップ#95の「芸人、かく語りき」では、マツモトクラブさんのポートレイトとオリジナルなスタンスを伝えるインタビューを掲載!